2012年05月20日

時を超えた一冊のノート

今日は時間が取れたので一冊のノートを紹介したいと思います。

それはスザンヌのお姉さんの家を訪ねたときに
コレクターの旦那さまポールが最近クマックの老いた日系二世の方から仕入れたというノート。
これが本人のものか、それとも他の人のものかは分かりません。
ノートには日記が書かれ、全部で9ページ分しかありません。1957年に川崎から出港した船上の記録と、ニューカレドニアに到着した直後の様子が記されています。
船作りに関わる仕事をするために渡航したようで、その後、彼がどうなったのかは分かりません。
何か手がかかりが得られるかもしれませんので、日記を若干修正したものを記載します。
お心当たりの方はお知らせください。
彼の名はNorio Iwasaki。漢字の記載はありません。大正の終わりごろか昭和の初め頃の生まれではないかと思います。
日記の記述は昭和32年。高等教育を受け、当時、まだ独身。叔父の記述はあるが父親の記述はないので亡くなっていたものと思われます。
当時の日本人がどのようにニューカレドニアにやってきていたか、分かることと思います。

下戸で真面目で、大人しい性格の彼が 南洋を航海する日本船に乗船し、新天地に足を踏み入れ、言葉の壁に悩み、けれど仕事に真面目に取り組むその姿が、たった一冊の大学ノートの9ページを埋め尽くした文字によって、50年以上の時を超えて蘇ってきます。
このノートを記したあと、彼は日本へ帰国したのでしょうか?
それともこの地に残って誰かと結婚したのでしょうか?
この1冊のノートがこの地にある理由…。それは後者を物語っているような気がするのです…。
そしてポールが言っていた老いた日本人のこと…。
彼へと続く糸をたぐり寄せるために、今日はこのノートを膝の上に置いてタイピングして過ごします。

一冊のノート_1.jpg

一冊のノート2_1.jpg
Archives Collection Paul Paturel

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

Norio Iwasaki氏のノート

◆1957年6月25日午後2時
太平洋海運所有宝洋丸にて川崎東電第二埠頭より出航。
最初の出国にて感慨無量の感に打たれ、見送りの人と顔を合わせるのが辛く、見送りの皆さまに満足な返事も出来なかった。
今日、見送ってくださった方は会社から所長、菊池、村田、宇久須から兄貴、清美、下宿から一行。5時頃、東京湾を出る。6時頃には曇のため、内地も見えなくなった。

◆6月26日
7時起床。昨夜の曇天も今朝は晴天だった。8時頃には八丈島東方50mを南下。ニューブリテン島に向かい進行中。

◆6月27日
8時頃、父島を右舷側に見る。4時頃母島も見えた。これで日本を離れた感が初めてした。

◆6月28日
今日は朝から何も見ず、一度飛魚が見えただけ。島が見えなくなって初めて地球が球であることが実感される。

◆6月29日
8時30分頃、マリアナ諸島の北端ウラカス島(?)を見る。この島は日本の富士を思わせる。10時頃モウグ島(マウグ島?)、3時頃アッリングソン島(?)。この島は大海原の真ん中に富士を置いたようだ。

◆6月30日
7時前頃最初のスコールに見舞われる。

◆7月1日
船内の日課。8時朝食。12時昼食。5時夕食。

◆7月2日
朝、7時30分頃コーヒーを入れてくれる。3時頃菓子およびお茶。4時頃入浴。夜8時頃菓子、お茶を入れてくれる。毎日遊んでいるので退屈で仕方なく、この頃これでも慣れてきた。二三日前までは日本放送が入った。この頃は無線で船に受け、船内に放送してくれる。

◆7月3日
毎日1回、1日からはスコールがある。食事以外はパンツ一枚で過ごした。

◆7月4日
3日から今日まで1度も島は見えず、島はあっても夜中に通過してしまった。日本を出るときは南方へ行くと暑くなると思ったが、来てみると船内はさほど暑くない。

◆7月5日
今日は朝から雨で今朝赤道を通ったのだが、曇りのため暑さはさほど感じられなかった。今夜はニューアイルランド島およびニューブリテン島を東方を南下する。ニューアイルランド島東方10里のところを通るそうだが、夜では見られないかもしれない。この辺では大東亜戦争戦争中、日米の軍艦が戦った所だと聞いて、十数年前が思い出される。この近くに叔父もいたと聞いていたので、なんとなく懐かしくも思われる。東方にはブーゲンビル島を見られるが、遅いから見えないかもしれない。

◆7月6日
今日は朝から曇りで、この分だと島影は見えないかもしれない。昼頃はブーゲンビル島の西方を通過。曇りだから見えないかも?
ニューカレドニアまで四、五日と聞いて、何となく淋しくも感じる。最初船内生活はよくなかったが、下船がいやになるようだ。でも上陸で内地と異なる生活が始まるが言葉のことが苦になる。南洋諸島航海中より、今はずっと涼しく、今の緯度は南緯5度。7月6日午前10時。日本時間とは違う。出航以来一度も時化に遭わなかった。でも南太平洋の波は多少あった。宝洋丸船体は空船のため、いつもローリングはしている。

◆7月7日
今日は朝から風雨が強く、船首に当たる波浪のため、船全体に大なる振動を感じる。今朝の宝洋丸の位置はソロモン諸島ガダルカナル島西南方200kmを東南方向に航行。日本時間と現在の時間とは約1時間進む。今日1時頃エンジンルームのSurast pakin取替のため、一時エンジン停止。船長は船体が横になるから大なるローリングをすると言っていた。

◆7月8日
今日も朝から風が強く、一日中曇りだった。

◆7月9日
朝曇っていた空も午後より晴れ、風は相変わらず強い。四五日前よりずっと涼しくなった。この頃は飛魚も多く海面を縦横に飛び回っている。本船は大波に当たると大きく振動する。端から端までの振動で、船胴に穴でも空いたような感じだ。今日、藤井一行君への手紙を書いた。思うように名文が出ず、小生は小さな時から作文が苦手だったから、今になって祟る。作文が苦手だからといって書かずにもいられず、一番困るのは女性に出す手紙には苦労する。自分の心を表す文は難しい。

◆7月10日
今日は朝から一日中良い天気だった。昼食の時、船長が12日の晩、ニューカレドニアに着くとのことだが、船長は夜ではうまくないから13日の朝にしたいとのこと。小生らの長い航海も、あと数日で終わるのだと思うと気の緩みが自然なくなってくる。航空郵便の受付を11日に本船にてすると言ったが、小生は下船してからにした。この頃は退屈だが、一日が短い?

◆7月11日
白紙。

◆7月12日
今日は一日中良い天気だった。海図ではニューカレドニアの西南端の真横にかかっているが、遠いのか島らしいものは見えない。7月12日、今日も良い天気だった。本船の右に大きい島が見えた。でもヌメアに着くのは今日の6時か7時らしい。
7月12日。左手に広大な陸地が横たわっている。長い航海ももう終わろうとしている。目の前にニューカレドニアという一生物に対しては大きな土地が小生を待っている。船上で見ると無人島にも見える。でもこの島に人口4万人というと、土地に対し本当に少ない人口だ。現在の気候というと、本当に住みやすい気候だ。5時30分頃から宝洋丸の遥か後方、水平線に大型船が見えてきた。吉備丸かもしれない。小生、航海中、何事もなく航海出来たこと、幸せに感じた。見送りの人たちに50%義務が果たされたように思う。今日、叔父に対して無事なことを電送してもらった。カレドニアに着いて船中にて第一夜を明かす。そろそろ夕闇が迫ってくる。6時頃、水先船より点滅信号を送ってくる。本船、すぐ左舷に舵を取る。6時30分頃水先人乗り込む。左舷、ヌメアに向け一路進行。両岸にはリフなる物黒く見える。今日吉備丸のような船はカレドニアを出ていったらしい。その右舷らしき影が見えない。

◆7月13日
今朝、7時30分頃ボーイに起こされ、すぐ下船とのこと。急いで荷をまとめ8時頃下船した。通船にて税関所の前にて降ろされ税関に入った。小生ら二人言地獄に入れられたようだ。1時頃布目さんが来たのですぐヌメアのホテルに行く。この辺の海岸をアンスバタという。昼食のとき、ホテルの食堂に行った。ここでも言葉および食べ物に対して不都合のことばかり。夕方、最初出発していた人たちとホテルで会った。この人たちに色々のことを聞き、だいぶ小生は助かった。その晩はみんなでヌメアの町へ遊びに行くことになったが、小生だけは食堂にてお茶。他はブドー酒を好むため、小生は弱いので一人先に床に入る。

◆7月14日
今朝は8時頃起きた。皆で6人で食堂に行き、朝食を取った。食堂はフランス系の人たちでいっぱいで、朝食をすませてヌメアを出る。今日はパリ祭で町中にぎやかだ。町を歩いて6人の日本人と会った。この中一人の人(フジ…)という人の話で戦前は6000人の日本人がニューカレドニアにいたそうである。その当時は一にフランス、二に日本という頃だそうで、この終戦で日本人の持ち物は全部取り上げられ、日本と繋がりのある人は全部送られたそうで、今では約30人いるそうです。人種はフランス人、原住民(※原典には土人と記載)、インドネシア、インドシナ、シナ、ドイツ、イタリア、日本、各人種が入っている。この島では日本人をよく見てくれるそうで、特に原住民は日本人には親しみ深い。フジ…という人は奥さんはフランス人で子どもはフランス海軍に二人とも行っているそうだ。今は奥さんとも別れて生活している。これも日本戦のためで、終戦で日本に送られたあと、子どもと奥さんを見てくれるフランス人に対する15年間の思いのため、今、フジ…という人は一人で暮らしている。

◆7月15日
今朝、布目さんに起こされた。朝食を取るとすぐPantecosto氏の会社に行く。会社にてさんざ待たされ、やっとPantecosto氏の挨拶があった。あなたたちを大変歓迎するというのだった。正午よりホテルに帰る。ここでは冬だというのに海水浴に行っていた。

◆7月16日
今日は布目さんとパスポートの交付の手続きに行った。午後よりホテルにて日本人6人でカレドニアにての生活について聞き、また日本人一般の結婚後のあり方を語り合った。小生の考えているようにはいかないそうだ。君はまだ若いからと言われた。小生は誰でもよい、自分を良く思ってくれる人、またこの人に対し、自分は全力を尽くすつもりでいる。現在のところ●子がどの程度考えているか、小生に対し一番の問題で、小生は●子に対しては雲をつかむ思いだ。

◆7月17日
今日は初めて映画を見に行った。何と言ってもフランス後はわけがわからなかった。

◆7月18日
今日は吉備丸の入港の日という。朝、ホテルの食堂にて吉備丸の入港を見る。すぐ吉備丸の所へ。あとの4人も乗船していた。吉備丸にてTiodeiに行くので乗船。

◆7月19日
昨晩は吉備丸にて床に入る。ヌメアを出航するのは明日昼頃と言っていた。テオデイに行く小生らはテオデイに何が待っているか問題である。最初の人の話では家1軒もないということ。今晩も映画を見てきた。ドイツの8/15という映画だ。フランス語なので、細かいことは分からなかった。

◆7月20日
今日は石川さん、古屋さん、加瀬さん三人はサンルイに行くそうだ。吉備丸は4時ヌメアを出航。テオデイに向かう途中、左舷は空船のため、大なるローリングをする。

◆7月21日
朝7時頃テオデイに着く。船内にて魚釣りなどをして一日を過ごす。

◆7月22日
今日は荷役を待つ。昨夜より魚釣りをしていたがここでは大きな魚は釣れない。でも日本のカサゴほどの魚はだいぶ釣れた。4時頃吉備丸を下船。エドモンド曳船にてテオデイに着く。6時頃テオダイよりウアコに向かう。ウアコの宿に7時半頃着く。明日よりニューカレドニアでの作業第一足を踏むと思うと何となく気が締まる。山口さんにニューカレドニア産のバナナを食べさせてもらう。5本ほど食べさせてもらった。自分のように心の何となく暗い者にはニューカレドニアの生活は良いかもしれない。困ることは言葉だ。早く覚えようとする心でいっぱいだ。今夜よりカレドニアでの作業上の第一夜を送る。ウアコは夜10時になると消灯となるそうだ。

◆7月23日
今日は朝7時起床。ニューカレドニアでの初めての作業を始めた。作業と言っても、新造船の作動上の作業で仕事という仕事ではない。ニッケル鉱といっても日本の赤土のようで25%〜3%程度で3%以下では輸出できないとのことだ。ウアコの宿より現場までは80kmの速度で車が走るが20分ほどかかる。最初の現場の食事はうまく食べず、原住民の炊事では初めは手が出ない。今日の仕事は6時頃終わった。

◆7月24日
今日も7時起床。ウアコのインドシナの食堂にてコーヒーとパンを食べた。テオダイに着いたときは8時30分になった。今朝はテオダイのニューヴァフに自動車が寄ったので時間がかかった。今日の仕事は山口さんの寝台の続きを受ける。これはモンタニセンの息子のだそうだ。

◆7月25日
今日も7時起床。テオダイに着いたのは8時頃。寝台に取り掛かる。ここの木は日本のナラみたいな木でやわらかい。昼頃原住民の女がカニを採ってきたのを見た。カニも日本のカニより遥かに大きい。ここはのんきで良いが、何の楽しみもなく日々を送るより他はない。言葉には大いに困る。今のところは日本人が4人いるのでフランス語を用いなくても良いが、たまに一人になることがある。その時に話しかけられるとき、キツネに鼻をつままれるような気持ちだった。

◆7月26日
この二三日は天気がぐずつき今日の朝から東から風が吹くと天気が崩れるそうだ。寝台も今日で終わる。

◆7月27日
今日も朝から曇りで、仕事は艀にかかる。艀と言っても去年鈴江で作った船で、今ではニッケルで根船より上場までたまっている。原住民が毎日これを取っているが、原住民が働くのは、我々日本人では見ていられないくらいほどのんびりしている。原住民といっても日本人のように上から下まで(労働力)があるように、バカにできないほどの原住民がいる。中には日本人に対して非常に気を使ってくれる原住民もいる。原住民は食べ物に非常に無精で、皿など満足に洗っていない。ましてニューカレドニアでは水不足のため、なおさらだ。テオダイなどではドラム缶で水を運ぶ。今日は昼は牛肉、魚、米、ジャガイモなどの料理だが、日本でこれだけの材料があればうまく食べられるが、なにしろ原住民の料理なので話にならない。夕方3時頃山(テオダイ)を降りる。部屋へ戻ってから下着を洗い、部屋を掃除して、この4、5日で初めて体を洗う(ここはシャワーが水のため)。手紙を書きたいと思うが10時に電気が止まるので思うように書けない。でも、自分に書く気がないのかもしれない。日本へ戻るまでは女のことは頭に入れないつもりでいる。

◆7月28日
今日はテオダイで働いてから初めての日曜日だ。10時頃近く見物していたらモンタニセンがドライブに誘いにきて、テオダイの先のコメネに連れて行ってくれた。そこの農家でパパイヤにマンダリンを買った。マンダリンとは日本の温州みかんのよう。今日は初めて叔父に手紙を書いた。

◆7月29日
今日ボウに行っていた杉山、瀧、大野さんが帰ってた。テオダイに昨日の雨のため、山出しのトラスクは休みで、朝、かなりの所へ行ってから車が来た。その車はテオダイの食堂の食品、オーストラリア産のジャガイモとカレドニア産のバナナだった。夕方2枝、ウアコの宿へ持ってきた。バナナといっても青いので10日ばかり置いてからでないと食べられない。

◆7月30日
今日も前日のように船の修理で、これという変わったこともなく原住民にフランス語を聞いたり。でも原住民では本当の音は出ない。テオダイに初めて電気が付いた。それは発電機直結エンジンを取り付けたため。ガソリン機関だった。横事を考えていて指をぶった。この四、五日、胃が悪く、昨夜戻し、今朝も戻す。何のためかちっとも分からない。テオダイの食堂の年頭にピースを1個あげた。日本人に対し、食べ物の事に関して色々と気を使ってくれるから自然に自分の気持ちがそうさせる。テオダイには今は日本人も7人いる。でも言葉が分からなくてはどうにもならない…。

◆7月31日
今日も天気がよく仕事は船の●●板式で別に変化なし。

◆8月1日
今日は胃もだいぶ良くなり体は一日だるくて仕方がなかった。夕方テオダイよりウアコまでモンタニセンに車で送ってもらった。今日も映画があるそうだ。

◆8月2日〜4日
3日までは毎日花札ばかりして手紙および日記をつけることもせず終わる。2日は曳船で釣った。魚約ニ貫目を片身、日本人だけで刺身にして食した。
4日、今日は2回目の日曜で変わることなく3時頃にモンタニセンにドライブに誘われcomen〜komacuへ。6時頃家に戻った。車は100km出ていた。

◆8月5日〜8日
船は1隻7日に仕上がり、7日昼から2隻目にかかる。7日から箱作りをする。箱は4カ所だけれど8日?の夕方まで出来ない。日本にいてはこんなこともできない。
8日、今は昼よりマリヤンに行ってパイプの水止に行ってきた。毎日のんびりしていて先口が日本へ帰ってからはどうするのかと思うと先が思いやられる。テオダイのnisukulnのsutasukuもなくなり、近々にテオダイの新ワフに行くそうだ。吉備丸も9日には荷役が終わるそうだ。ニューカレドニアに来て一番困ることは大便が出ないことで、昨日、朝に便所に行ったが出なく、昨夜も行って泣く思いですませた。今日一日けつが何となく変で女も●●れる町はこんなのかと思うと先が思いやられる。



※誤字脱字、旧漢字や読みづらい箇所などは修正しています。彼が結婚の相手にと考えていたと思われる●子さんの名は差し障りがあるといけないので伏せています。地名は原典に忠実に記載していますが、彼が実際にどこで働いていたのか不明です。検討がつかれる方は教えてください。


posted by 理乃 at 19:06| Comment(2) | かつていた日本人の痕跡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんな古いノートがニューカレドニアに現存することに驚きます。造船の仕事でニューカレドニアに渡ったのであれば、三菱重工、川崎重工、三井造船のいずれかに勤めていた人でしょうね。文章の中でニッケルという言葉が出てきますが、ニッケルを日本へ運ぶ仕事であれば、ニッケル精錬を古くからやっている住友金属鉱山に勤めていた人のような気がします。
Posted by むっちゃん at 2012年05月20日 20:29
>むっちゃん

真面目なコメントありがとうございます(笑)
わたしも真面目にこの地に残る日本人の痕跡に取り組んでいます。
Posted by 理乃 at 2012年05月20日 21:16
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。